先週末、諏訪大社御柱祭を見に入って参りました。 諏訪大社とは、諏訪湖をはさんで南北にひろがる上下諏訪地方の大社のことで、上諏訪地方の上社と下諏訪地方の下社に分かれ、上社は本宮と前宮から、下社は春宮と秋宮から、併せて四社で成り立っている。この大社は、国譲りを迫られ、出雲から諏訪に逃げ落ちた建御名方命(たけみなかたのみこと)を祀るための社とも、諏訪に古来より伝わるミシャグジ信仰の表れともいわれているという。 今回、僕たちが見たのは諏訪大社下社春宮「二之御柱」の山出し。これを岡谷市長地の氏子衆が司る。 より大きな地図で 御柱曳行路 - 下社山出し を表示 山出しとは、棚木場(たなこば)から御柱古道(ふるみち)を通り、木落としを経て、注連掛け(しめかけ)まで御柱を曳行すること。二年前から御柱となる大木を見立て(選定)、前年のうちに切り出しておいた御柱を、大社の氏子たちが総出で曳く。その後、里曳きを経て、各社の四隅に祀られるという。 木落としとは、古道途中の木落とし坂で、氏子を乗せたままの御柱を駈け落とすという豪快なもの。最大勾配35度、高低差32mを越えることから、時には死傷者も出るようで、この日も重傷者が何名か出たという。ちなみに僕は木落としの瞬間をカメラで捉えることができませんでした!というのも「その瞬間」に目が釘付けだったから。友人によると、木落としで御柱にのることができるのは、各地区の氏子総代を始めとするごく限られた人のみなのだという。 木落としを終えた御柱は、東俣川に沿って注連掛けまで曳行される。木落とし坂から注連掛けまでの道のり、曳き子の列は延々とどこまでも続く。東俣川越しに氏子衆が木遣り唄をうたいながら御柱を曳く様は、古来から続くこの土地の風土を彷彿とさせてくれた。これは注連掛けに安置された御柱。ここで山出しを締め括る注連掛け祭を待つ。どの御柱も、どっしりとしていて、太い。 ではこのような祭事を執り行う諏訪大社とはどんなところなのかというと、遅くとも平安時代には延喜式と呼ばれた律令制の格式の体系で、その地位が示されているから、由緒は古い。しかしながら現在建っている建築そのものはそう古くはないという。例えば下社秋宮神楽殿(かぐらでん)は1835年の落成なので、19世紀中頃の建築ということになる。ちなみにこちらは神楽殿の大注連縄。近くから見ると結構な迫力ですね。また、春宮、秋宮とも、四本の御柱が四周を取り囲む幣拝殿・左右片拝殿はもう少し古くて1780年の落成。 幣拝殿・左右片拝殿は春秋宮とも同じ絵図面のつくりなので、彫刻などの意匠装飾は異なるものの建築様式は同じ楼門造り。春宮は桧皮葺の屋根が印象的でした。6年ごとに建て替えられるという御柱。僕たちの見た春宮二之御柱はもうすぐ、ここに建つことになる。僕たちは旅行者。なのでこの祝祭の本義を理解するには程遠い存在である。とはいえ、ここには確かに土地に根差した物語、交換不可能な固有性が脈々と受け継がれていることを肌で感じることができたのは貴重な体験だった。
諏訪大社御柱祭